スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

今日はランオフで明日もランオフですがあさってはちゃんとスピ練しますからねっ!

日本語というのは結構面白いもので、書き言葉だと文字種、改行、句読点の使い方で
内容自体は同じものであっても、文章そのものの持つ印象が大きく異なってくる。

一例を挙げよう。

最近、ランニングの面白さに目覚めた30台男性の、練習にかける意気込みを表現した文章である。

(例1-a)
「今日は、20キロ走ることが出来たので、明日は30キロに、挑戦したい。」

ここでは「ので」という順接の接続詞の用法が文意上的確かどうかが気になるが、
モチベーションの高さそのものは良く現れている。

文字数の割りに読点の数が多めである。

「今日は、」で切れているあたり、20km走ったことによる消耗度と充実度の両方を垣間見ることが出来る。

最後の「30キロに、挑戦したい。」では一呼吸おき、丹田に力をこめて、明日への目標を宣言している。
愛読書は金さんの「体幹ランニング」か。

では、上の文章から句読点を省いてみよう。

(例1-b)
「今日は20キロ走ることが出来たので明日は30キロに挑戦したい」

当然内容は変わらないがニュアンスは変わる。

一息で早口にこともなげに言い切るあたり、
20キロのランニングは習慣的に継続している様子がうかがい知ることが出来る。
30キロも何度か経験済みだろう。

おそらくフルマラソン完走も成し遂げ、周囲の人間からは「ランナー」として認知されている。

可能性としては、会社等において、
自分がこれほどの長距離を日常的に走っていることを吹聴しており、
周囲の人間は「(理解不能でまったく共感できないが)それってすごい!」と言う反応であるが、
本人は周りから尊敬の念を勝ち得ている、と思い込んでいる場合があるので、
人間関係においては注意を要するだろう。

では、最後に漢字変換をやめてみよう。


(例1-c)
「きょうは20きろはしることができたのであしたは30きろにちょうせんしたい」

非常に幼稚な印象を受ける。年長~小学一年生の自由帳への落書きか。
あるいは昔懐かしい「せんせい、あのね」である。

しかし20キロだの30キロだの走るなどということを、小さい子供が実行するわけも無いので、
これを書いた人間は成人の可能性が高い。

電波系か。

あるいはランニング過多に起因する、血液もしくは酸素の欠乏による脳機能不全の可能性。
医者に行ったほうがよかろう。

このように句読点および漢字使用の有無による、文章の印象の多様性を検証してみたが・・・

ここまで書いておきながら恐縮であるが、サンプル文章が適切ではなかったかもしれない。

要は、書いてあることが変なのである。
20キロ走った翌日に30キロ走る、という行為に、合理性と安全性の観点からはその妥当性が疑われる。

しかしながら、疑義を唱えるのであれば、実際に実行してみて、その安全性(もしくは危険性)を自らの足で
確認する必要があろう。

ということで、被験者Aには20キロ走と30キロ走を実施してもらうこととする。

たぶん来週かな。




あー、、、バカな文章でした。


ランキングに参加しています!

にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。